本会は過ぐる昭和8年に貴族院議員・大蔵公望氏、東京帝大総長小野塚喜平次氏、同教授美濃部達吉氏、労働事情調査所主幹・矢次一夫氏ら官民有志が参集し、「国策研究同志会」として発足。その後、国内を震撼させた、2.26事件を契機に同12年に同志会は陸、海、外、内務省をはじめとする要路各方面、有力役員の強い懇請により実践的研究団体に拡大改組されるとともに現行の「国策研究会」と改称。以来、戦局が苛烈化し、本土空襲の激化による被災の拡大等々のために、休会を余儀なくされた昭和20年3月まで“民間企画院”と言われるほどに多くの調査研究報告書を作成。他方、第一次近衛内閣以降、小磯内閣に至る歴代内閣にも多数の当会関係者が入閣していたことは史家の間では良く知られていることである。
戦後の国策研究会は、サンフランシスコ講和条約調印を契機に、昭和28年6月再出発。昭和32年第一次岸内閣のもとで「財団法人」の認可を得、同内閣成立に前後して、日本・台湾の要路人士を結集して「日華協力委員会」を創立。さらに蒋介石総統の勧告を受け、韓国との国交正常化交渉を水面下で行う。以後、台湾ロビー、韓国ロビーの拠点として斯界各方面の注目を集める。この時期の研究レポートとしては、第一次「行政改革」国策研究会案があり、更に佐藤内閣下で「核拡散防止条約」提言書を作成。ついで「日中国交正常化」意見書の作成等々数多の政策提言を行う。
上記の研究活動ならびに、この数年間の会報「新国策」掲載の政策研究レポートが公益に叶う、との認定が安倍晋三内閣総理大臣よりなされ、平成25年4月1日より、「財団法人国策研究会」から「公益財団法人国策研究会」へ移行。平成25年は本会創立80周年となるがこの間に擁した会員数は数万人に及び会報「新国策」は令和4年2月1800号を算える。「新国策」は昭和、平成の同時代史資料として内外現代史家の間で多大の関心と評価が寄せられている。